2018-05-16

藤崎和彦岐阜大学教授の講演
「初期研修の意義・医師臨床研修の到達目標を考える」

*和歌山で行われた岐阜大学医学教育開発研究センターの藤崎和彦教授による講演を文章化しました。

藤崎教授の推薦の言葉


先日、和歌山生協病院でお話した内容が冊子になりました。

近年の国際的な医学教育のグローバルスタンダードは、講演でもお話したように「将来の進路に関わらず、全ての医師が共通の基盤として持つべき知識・技能・態度を
卒前教育と卒後初期研修期間で養成しなければいけない」という考え方で、具体的には「コモンディジーズ、コモンプロブレムへの対処能力と初期救急救命能力の獲得」がゴールになっており、現在の初期研修制度もその理念の下に制度が作られています。

ここでいう「コモンディジーズ、コモンプロブレム」は地域の一線病院にでこそみられるもので、「スペシャルディジーズ、スペシャルプロブレム」を扱う専門店街のような病院では出会いにくいものです。

安いファーストフードばかりの食事で、本当においしい料理を食べたことのない人に
美味しいお店を選ぶ目が養えていないように、いろいろな研修病院の有りようを見て回ることで自分に合った研修病院も選ぶことが出来るようになります。

本書を参考に、是非、納得のできる自分の研修先を見つけてくださいませ。

本文をダウンロードして閲覧したい方はコチラから。


はじめに


 ただ今、ご紹介いただいた藤崎です。今日は「初期研修で何を学ぶか」ということですが、基本的には初期研修と卒前教育というのは、一体化して考えることが世界的な考え方の基本です。なおかつ、色んな領域で世界標準ということが言われ、医学教育も今どんどんグローバルスタンダードの波が入り、日本だけ特別とは言えない時代になってきています。卒前教育は今まさに、グローバルスタンダードの波に動いていますし、卒後初期研修も入ってくるのではないかと思っています。それぞれグローバルスタンダードを見越したなかでどう考えていくかについてお話をいたします。

 そのきっかけになったのは2010年に、アメリカ(北米)以外の医学部卒業生が受けるECFMG(Educational Commission For Foreign Medical Graduates)=フォーリン・メディカル・グラデュエートはアメリカ以外の医学部を卒業した医師が、アメリカで診療するための免許試験を実施する機関の通告があったことです。

 北米の医学教育の質はLCME(Liaison Committee on Medical Education)がコントロールしているのですが、そこのガイドラインか、あるいはそれ以外の国はWHOの組織として世界医学教育連盟(WFME=World Federation for Medical Education)がつくられています。


 WFMEは卒前教育・卒後初期研修・生涯教育と3つのグローバルスタンダードをすでにつくっています。そのうちの卒前教育の部分について、この基準に基づく認証評価を受けた医科大学卒業生以外は2023年以降、ECFMGへの受験を認めないと、2010年世界に発信をしました。

 グローバル認証評価は、中国、韓国、台湾等は結構早くから取り組んでいましたが、日本はこの時点で何もやっていなかった。それを受けて次の2011年に文科省の医学教育課長が東大の医学部長と病院長と教務委員長を呼んで、「東大の卒業生がアメリカで免許ももらえないようでは日本の恥。東大がリーダーシップをとり、この問題の対策にとりくむよう」という要請をした経緯があります。

 2013年までに日本の医学部全部がグローバルスタンダードにもとづく認証評価を受けるために、どう合わせるかが議論になりました。

 グローバルスタンダードの初版は2003年に出ています。2010年にECFMG通告があり、2011年にそれに対応する検討会ができ、文科省から助成金が出され、対応を考える研究班が立ち上がりました。


 実は初版を医学教育学会で翻訳し、それを出す直前に改訂版が出て、慌てて次の年に改訂版を訳した経緯もあります。今は第3版が出ていますが、2015年、日本の認証評価をする組織として日本医学教育臨床評価機構(JACME)が設立されました。

 今年(2017)の春にWFMEから、JACMEがやっている認証が世界標準の認証に値するという認証を修得しました(2023年まで)。一昨年、10校程度参加のトライアルで、岐阜大学も和歌山医大もJACMEの認証評価を受けていますが、そのときのJACMEはWFMEのお墨付きをまだもらっていませんでした。お墨付きをもらったJACMEが、今年の認証後、この5月、一昨年の認証以降、改善項目で指摘を受けた部分についての進捗状況を示す指示がありました。その文章を7月か8月頃、私たちはJACMEに提出し、JACMEから正式な認証が来るのを待っている状況です。


 認証は7年ごとにリニューアルされ、7年フルの期間でできないところは、3年後にもう一度再チェックされ、短い期間になってしまうことがあります。フルでできていることが一番いいですが、フルでできていなくても問題点に気づいて改善計画が動いている場合、ある程度は認証してもらえます。

 日本の医学教育は世界レベルと比べて、満点で一発で認証される学校は一つもありません。日本の医学教育が常にPDCAサイクルがまわり、改善してグローバルスタンダードに近づくのをあと押しする仕組みなので、前回指摘されたことが、どう改善が進んだのか示せないといけない状況で、終わってホッとする間もなく、次の取り組みをやり始めないといけません。これから受けるところは今、パニックになりながらも、それらしい形をつくりましょう、といった感じで実施している状況で、日本中大騒ぎです。

 医学部・医科大学は日本に82大学ありますが、今のところ10数校しか受けていません。残りの60数大学はあと4年間程度の間で、毎年十数大学で取組まないとけない状況です。とくに今年と来年が一番立て込んでいる時期で、どううなるのかとみています。
そもそも日本の医学教育とアメリカ、あるいはヨーロッパの医学教育はかなり違います。よく言われることですが、アメリカはアフターカレッジで、いわゆる専門職業大学院という高等職業訓練学校です。大学を出た者が、高等職業の資格をとるためにビジネススクールやロースクールへ行くのと同じようにメディカルスクールに行く発想です。

 2年間の臨床実習期間は、アメリカだけではない世界的標準のグローバルスタンダードで、ヨーロッパも2年間が基本です。
 日本は30年以上前、臨床実習期間は1年弱で30数週しかありませんでした。今は、1年半50~60週程度になっていますが、世界的には80周程度が普通です。

 圧倒的に臨床実習の期間が短いのが今の問題ですが、期間だけ増やしても中身が伴っていないと問題改善にはなりません。見学中心ではなく、診療参加をどうするかが問題です。

 臨床実習2年間は、欧米の基準ですが、アメリカでは医師免許は州法で規定されています。州によっては、2年間の臨床実習が医師免許の取得資格になっています。十数年前の話ですが、日本の某大学卒業の先生がアメリカでリサーチをし、そのあと別の州の臨床の教授になられた。そこで医師免許を申請しようと思ったら、学生実習の期間が足りず、教授になって半年間、学生実習をしたという現実がありました。

 期間もそうですが、圧倒的に実習の受け持ち患者数も違います。ルーチンで学生でも診療参加しながら200人もみています。日本では20~30人、多くて40人ぐらいが卒前実習の現状です。

 アメリカの場合、卒前教育がしっかりしているので、卒後研修は1年でいいと言われています。アメリカの場合は、専門診療科と総合診療は車の両輪という発想です。半分は総合診療にいって、半分は専門診療科にいくのが基本です。日本の場合、スペシャリティーばかり、専門診療科ばかりの状況です。

 15年ぐらい前、アメリカの卒後教育の専門の先生が、日本の医学教育を調査されました。その結果を日本の医学教育学会の学会誌に書かれた論文のタイトルが「日本には内科はないか」でした。専門内科のみで、総合内科は教えなくていいのかと指摘されました。今、総合診療部はそれなりには増えていますが、十分それを補えては言ません。実際に外来での振り分け機能以上にはなっていないこともあります。各専門診療科がジクソーパズルのようにバラバラに教えて、それが学生の中で一つの絵になるのか?という議論にあり、その部分が弱いことは日本の医学教育で指摘されています。

 アメリカから帰ってきた人は、アメリカの医学校は大学を出た人間だから4年間で立派な医師になれるが、日本は高校を出たばかりとの言い訳をします。しかし、ヨーロッパはアフターハイスクールで、イギリスもオランダはアフターハイスクール5年間です。

 それでも卒業生はアメリカとほとんど同じレベルです。欧米の医学部卒業生のレベルは、日本の卒後初期研修後の研修医と同じぐらいと言われています。それはイギリスとオランダのアフターハイスクール5年でできていることを、日本は8年かけて養成していることで、明らかに生産効率が悪い。教育にしっかりエネルギーをつぎ込んでいないので、生産性が低いから8年もかかっていることになっています。そこをどうするのかが、グローバルスタンダードでの議論となり、問題になっています。

 今から15年程前、イギリスの医学教育は卒前教育も卒後教育も、ジェネラル・メディカル・カウンシル(General Medical council)がコントロール統括していました。イギリスの医師免許を取得するための医学校のリストに、日本の新設医大が入っていなかったことが問題になった時期があります。

 そこで日本の新設大学がお金を出し合い、GMCから審査官を呼び、日本の新設大学もイギリスから医学校として認めてもらい、リスト入りしてもらうよう取組んだことがあります。そのときもGMCの審査官に、医学教学会誌に日本の新設医大を視察した内容を論文で投稿してもらいました。そこで述べられたのは、「基礎医学の科学者教育はイギリスからみても羨ましいけれど、臨床は…」と、臨床教育は不十分という指摘をされました。


 イギリスも一時、ナショナル・ヘルス・サービスは効率が悪いとの議論になり、日本よりも10年程先んじて、医師数を1.5倍ぐらいにしています。イギリスの卒後研修は1年でしたが、世界標準に合わせるには2年必要とし日本より先んじて実行しました。

 こういう改革の軸の一つに、『基本的医学教育』の考え方が20世紀後半に出てきました。これはアメリカ医科大学協会が1983年に出した「GPEPレポート」、イギリスのGMCが93年に出した「Tomorrow’s Doctor」に書かれている考え方で、卒前教育プラス卒後初期研修期間は『基本的医学教育』期間として捉えましょう、という考え方です。


 将来の卒後の進路に関わらず、基礎にいこうが、社会医学にいこうが、健診機関にいこうが、生命保険会社に入ろうが、医師免許を持って仕事をする者は全ての医師が共通の基盤として持つべき知識・技能・態度をこの卒前教育から卒後初期研修期間で養成しなければいけない。卒前教育では十分ではなく、しっかり臨床で患者さんに関わらないと能力が身につきません。ゴールは基本的にコモンディジーズ、コモンプロブレムの対処能力と初期救急救命能力です。

 特殊な病気ではなくて高血圧や糖尿病、あるいはコモンプロブレムです。健康問題の喫煙のことや、アディクション、薬物依存、社会的な問題含めて、日常の健康問題に対して、医師であれば最低、全員ができるようにならなければいけないものです。プラス初期の救急救命、2次救急とか3次救急とまではいかなくとも、新幹線や飛行機の中で「ドクターいますか?」と言われたら、寝たふりしないで、手を挙げて対応できるようにならないといけないという世界的な考え方です。

 この考え方を受けてわが国でも2004年からの卒後初期研修の必修化、今、やっている新医師臨床実習制度がつくられました。現在の新医師臨床実習制度のゴールも上記の内容です。

 一方、わが国の卒後初期研修の考えですが、戦前は国家試験なしで、医学部卒業後即医師免許取得の形でした。医専は試験がありましたが、戦争体制のもとで男性が兵隊にとられ、植民地の医師不足と戦争後期には、軍医も一緒に死んでしまう。女性で医師をつくるために女子医専が数多くつくられました。3年程度で医師をつくる促成栽培でしたが、戦後、GHQ(アメリカ連合軍)が、促成栽培の医学教育はやめるとし、医専が廃止されました。


 医専数は100か所近くありましたが、和歌山医大、奈良医大は国立ではなく県がひろい、岐阜は国立にひろわれました。医専は3分の1か、4分の1しか生き残れませんでした。

 もう一つは公衆衛生です。当時の日本の社会医学は、基礎医学として衛生学で教え、基本的に黴菌とか栄養学でした。公衆衛生、社会医学は戦前のレッドバージ等で、社会的な視点はけしからんと、結核の蔓延にもかかわらず、公衆衛生が全くありませんでした。敗戦後にこれではいけないと、GHQは実験系の衛生学に追加して、臨床系の公衆衛生学をつくり、公衆衛生学、衛生学の2講座制が戦後続きました。基礎医学で衛生学が残り、臨床医学に公衆衛生が残るスタイルができたのはGHQの指令のもとです。

 ただ最近では公衆衛生、地域保健や労働衛生をやっている人が減少し、公衆衛生の教授は、厚労省の天下りの人と臨床疫学の専門統計屋ばかりになってきています。地域保健でも労働衛生の分野でも専門家の助言をもらえず、現場は困っている状況が生まれています。

 さらに、国家として医師免許を与えているのに、内容を審査されていないことから、GHQにより国家試験が導入されました。同時に、卒後初期研修の仕組みのインターン制度もこの時期に導入されました。

 ところがインターン制度は、当時、アメリカが行っていた1年間のインターン制度を形だけ導入しただけで、財源措置が全くありませんでした。結果的には、身分・経済・教育がないと、インターン闘争が生じたわけです。インターンは、学生でなければ、医師でもないという、宙ぶらりんな地位でした。ところがインターンをしないと国家試験を受けられないから、病院には医師の代わりとして使える安上がりな医師として雇われました。そのうえ、教育体制は全く保障されず、ただ働きの見習い医師として使われていた。それに対して60年代の後半に東大闘争などインターン闘争があり、68年にインターン制度が廃止になりました。

 その後、旧の卒後臨床研修制度がつくられましたが、それは努力義務として2年間の卒後臨床研修をやった方がいい、というだけの内容です。なおかつ、ほとんどの研修は、大学病院でのストレート研修で、研修病院でのローテート研修を受けるのは1~2割程度の状況です。ローテートも広いローテートではなく、セミローテートと言われる内科系だけのローテートや、一部の診療科だけを回るローテートでした。

 私たちが医学教育学会に入ったとき、卒後研修医制度の分科会では、ストレート研修がいいのか、ローテート研修がいいのかの議論を、当たり前のように行われていました。しかし当時から国際的にはストレート研修といった概念はなく、初期研修としてふさわしいとは考えられていません。医師の『基本的医学教育』期間は、幅広く基礎力を身につける時期であり、その時期に専門家としてのトレーニングを始めるのは、本末転倒であり、ストレート研修は全うな研修ではないことが国際的な考え方で、日本の議論は国際的には通じない議論でした。

 1973年、医師研修審議会委員長に日野原先生がなられ、「ローテート研修を」と言い出しましたが、全然広がりませんでした。最初はストレートに少しローテート要素を入れようとしましたが、全然、入っていかないので、ローテートをやっているところと、ストレートをやっているところを分けるスタイルになります。
そのあと、総合診療方式でストレートでもある程度ゴールが達成できればいいということになりましたが、結局はうまくいかず、2004年、今の新医師臨床研修制度につながったのです。

 新医師臨床制度になっても議論がおこり、最初の頃はローテートで婦人科、小児科等を回ることができてよかったけど、大学側の巻き返しがあり、そこは回れなくても、ゴールに到達すればいいことになりました。しかし実際にはゴールである正常出産を福井先生の調査では、3%の研修医が見たこと、経験したことがなく研修を終了してしまっているといった問題が起きています。


 プライマリ・ケアの能力が必要かどうかは、世界的には1960年代の終わりに問題でした。これは、アメリカのカーネギー財団がつくり、大半の委員が医師でない一般社会人で構成されるミリス委員会の報告で、プライマリ・ケア医の養成が必要というものです。今、専門医制度で総合診療医の話がありますが、60年代の終わりにアメリカのプライマリ・ケア総合診療医のスタートしたきっかけがこのミリス委員会です。

 ミリス委員会がスタートした70年代のはじめ、日本もマネして家庭医制度を導入しようとしたら、医師会と大幅にもめ結局頓挫し、日本のプライマリ・ケア医の養成議論はその後20年程度ストップしてしまいました。

 アメリカでプライマリ・ケアのもとになっているのはウィラード委員会です。ウィラード委員会というのは、アメリカ医師会のプライマリ・ケア教育に関する委員会で、医学教育のあり方を変えています。心理社会的な側面の知識が圧倒的に弱いことが議論され、なおかつ行動科学が低学年で入れているけど、臨床実習のカンファレンスでそういう視点でのディスカッションが全くされていない。医学の基礎教育で学ぶのではなく、倫理的なこと、心理社会側面をカンファレンスの中で常にディスカッションし、臨床の中で使えなければ意味がないとし、臨床実習の中でしっかりと実施することが指摘されています。今までは倫理教育や行動科学は、サンドイッチのパセリみたいに、そばにつけておけばいい感じであったのですが、臨床の場、卒後研修も含めて、ディスカッションすることが重視されています。

 これは有名な図で、もともとの調査は1960年代にされ、世界的にも21世紀になってからまた調査されています。これは聖路加の院長の福井次矢先生の調査です。70年ぐらいに調査され、2000年にもう1回やり直したもので、結果はほとんど変わりません。


 地域住民の1000人を1か月間、サポートしたらどういう健康問題に遭遇するか、という調査です。そうすると1000人のうち862人は、頭痛、喉痛い、膝痛、腰痛など何らかの健康問題を抱えます。そのうち5割(500人)は市販薬を購入したりして自前でなんとかしています。

 診療所にかかるのは300人、病院は88人、救急外来受診は10人、入院になるのは7人、大学病院に入院するのは0.3人という結果で、ほぼ結果は40年程変わりがありません。
大学病院の病棟での臨床実習は、この1000分の3人を相手にしたもので、さらに日本では外来研修が十分にできていません。以前は入院期間が長期で、診断し治療方針を立てることを5~6週間の中でやっていました。現在、入院期間は1週間から10日程なので、外来で既に診断されていて、検査のためだけに短期に入院となります。あとは外来で治療を継続するのだから、病棟だけ見ても、医療の全体が見えない状況がある。にもかかわらず病棟中心で外来はほとんどみない研修内容です。

 大学病院の外来は特殊な疾患が多く、基本的にプライマリ・ケアのセッティングで、外来診察をしっかりみないとコモンディジーズ、コモンプロブレムがみることができません。世界的には外来に教育力を押していますが、日本はまだ病棟中心主義の状況です。

 これも古いデータですが、ヨーロッパの場合はだいたい1人のGPは少ないところで1000人~1500人、多いところで2000~3000人と契約して、かかりつけ医になっています。どんな健康問題があるかみると、1年間で上気道炎600人、アトピー、ジンマシン、水虫などの皮膚疾患が325人、鬱やパニック症候群、不安神経症、慢性期の統合失調症などが300人です。


 急性期の統合失調症は精神科の専門家がみても、慢性期は地域医療の場で管理しています。日本の精神医療は、ベッド数が多すぎる、入院期間が長すぎる問題があります。多くの国は、急性期だけ施設治療であとは外来です。そうでないと統合総合失調患者は地域から離れればそれだけ社会適応が悪くなり、地域に戻るのが難しくなるので、とにかく早く地域に戻すことが基本的な考え方です。

 日本の精神医療は基本的に民間病院中心です。公的な病院は歴史的にお金もかけず、十分な対応をしてこなかった。民間病院、私的病院が、昔の精神衛生法では、患者を精神病院に入れたら家族が楽になる、病院も自動的にお金が入ってくる仕組みで、その施設処遇で結果的に地域から精神病の人を隔離する仕組みで成り立ってきました。これは日本的な状況で、「なんとかしないといけない」とずっと言われています。

 一方、精神科医たちがよくいうのは、日本の医師全般は精神科的な対応能力がとても低い。だから、風邪で来院の場合でも、「統合失調症の病名があるだけで、『私の患者ではない』との対応で、精神科の専門病院に紹介するから」という反論もあるぐらいです。精神医療の患者を、診たことのない医師はどう対応していいかが分からない。確かに研修では1か月しかみないので、急性期の総合失調や鬱の治療が出来るようになるわけではない。ただ、診たことがなかったらこの人は了解可能な範囲なのかそうではないのかも分からない。重症なのか、重症ではないのかすら判断ができないから、「統合失調症」という名前がついているだけで手に負えないと精神科に送る形となり、それではいけないだろうということになります。

 メディカルチェックも250人いますが、そもそも大学病院では病気ではない人をみていないから、健康教育や行動変容などのノウハウを持っていなく弱いところです。

 社会的な貧困な人たちも年間200ケースぐらいあるのですが、そういう研修もできていない。大学病院は800床でソーシャルワーカーの部門は10人程しかいませんので、早くベッドを回すことと、結核予防法の書類等で手一杯です。一人ひとりの患者さんのソーシャルワーカーを交えたカンファレス等もしっかりできていないのが日本の大学病院の現状です。2年間、大学病院にいても現状では、研修医がソーシャルワーカーと一緒に仕事する経験がほとんどありません。今まで一緒に仕事をした経験がないソーシャルワーカーに、初期研修終了後に何かあったら相談しようと思うことは難しい。例えば、ハーバードの教育病院が5つ程ある中でメインの大きなMGH(マサチューセッツ総合病院)では、ソーシャルワーカー部門はスタッフ70人もいて、日本とは全然規模が違います。そこら辺も非常に弱いのが日本的な伝統です。

 一方、医学部でたくさん教えられる癌は、新発見の癌全体でが1年間で5例、内訳は肺がん2例、乳がん1例、甲状腺は必ず触れと言われるけども、甲状腺がんは20年間に1回のレベルです。まず病気をある程度判断できる必要はあるけれども、だけど実はカバーできていない部分がとても多いのが現状です。

 プライマリ・ケアの研修は、日野原先生が委員長になった70年代頃からずっと言われているけど、実はプライマリ・ケアという言葉はいろんな意味合いで使われる魔法の言葉であります。


 一つは、厚労省の人などは一次医療としてプライマリ・ケアがあり、二次医療圏の中で二次医療の病院があって、特定機能病院があり、がん拠点病院があり、三次医療がある図式です。

 イギリスのようなナショナル・ヘルス・サービスでは、GPが一次医療を担当しているが、日本の場合、患者はどこでもいくことができる。患者にとれば、「私のこの腹痛はプライマリ・ケアなのか、二次医療なのか、三次医療なのか」は分かりません。日本の場合、全てのところでプライマリ・ケアをきちんとできなくては困る。どこでもプライマリ・ケアの飛び込みがあり得る状況です。

 もう一つは、「プライマリ・ケアぐらい誰でもできないといけない」という医師の初歩的な能力のことをプライマリ・ケアと言っている人がいます。だけど、言っている人が本当に全般的なプライマリ・ケアができるのかは、微妙な感じがします。

 更には、幅広い基礎トレーニングとしてのプライマリ・ケアで、今の初期研修はこれに近い部分です。将来、専門医になるとしてもプライマリ・ケアの基礎がしっかりあるということです。行政や生命保険会社のドクターになるとしても、プライマリ・ケア的な経験が要るということです。

 4つ目は診療現場のことで、昨日まで県立病院で循環器内科の専門外来をやっていた先生が、県立病院から500メートルぐらいの場所に循環器内科の専門クリニックを開業する。「これからは県立病院を離れ、プライマリ・ケアの仕事をします」と言っても、地域での開業医だからプライマリ・ケアと言っているだけで、中身はスペシャリティーズでプライマリ・ケアはではありません。

 ある意味日本の開業医はほとんどの人が専門研修しか受けないで、プライマリ・ケアやってしまっています。海外の専門医には、プライマリ・ケアの専門医とスペシャリティーの専門医がいます。脳外科医や心臓外科医等は、脳出血、心臓弁膜症、心奇形の発症率は疫学的に決まっているので、心臓外科医や脳外科医はオペ数が限られてきます。外科医はある程度年間100、200例手術をしないと腕が落ちます。だから専門医になっても、オペが回る人と回ってこない人が出てきます。オペが回ってこない人は腕が維持できないから、プライマリ・ケア領域にくる。それもプライマリ・ケア研修をもう一度受け直し、トレーニングを受けてプライマリ・ケアにくるのが当たり前です。

 ところが日本では、昨日まで専門医だった人が、突然、診療所を開業しプライマリ・ケアを始める。大学病院血液内科の専門医をずっとやっていた先生が、講師か准教授でいたけれど、教授選に負け医局を追い出されて、仕方ないから開業して、プライマ・ケアの診療所を始める。突然、プライマリ・ケアを始めること自体、世界的にはあり得ないけど始めてしまいます。患者も大学病院の先生が開業されたからと、有り難がって受診するのは、特殊日本的なあり様です。

 最後に独自の専門性としてのプライマリ・ケアがあります。


 これは20世紀末の日本の医学生のプライマリ・ケア医に対するイメージの調査結果です。学生の多くはあいまいにゼネラリストになりたいと思って医学部に入り、4年生ぐらいまでを過ごし、最終的にはスペシャリストの進路選択になる人が多い。専門のプライマリ・ケア医を志望するのは6%ぐらいで、その割合は6年間でほとんどかわっていません。あいまいなゼネラリスト志望の人を、プライマリ・ケア医にもってくる教育がないところに日本の問題がある。プライマリ・ケアに関する知識や関心が全体に低く、学生時代の現場臨床経験の割合も低いのが現状です。

 そういう中で地域枠が出てきてどう地域に卒業生を残すのかと、在学中に地域の医療現場を見させることにはなっているけど、とても十分とはいえません。
プライマリ・ケアの専門医をどう養成するかは、先ほどの60年代のプライマリ・ケア医のミリス委員会報告等を受けて、世界的にプライマリ・ケアを担う医師をつくるための教育(コミュニティ・ベースト・メディカル・エデュケーション)は大きなトピックになり、そのための学校も多くつくられました。世界的な議論の流れの中で、日本でつくられた大学が自治医大です。

 日本の場合、自治医大をつくると地域の医師養成は全部そこに押し付けて、後の大学は知らんぶりをしていました。21世紀になってやっと医師不足で地域に医師をどうするのかが世界比較で30年か40年遅れて議論になり、慌てて地域医療の医師をどうするか議論になっているのが日本の現状です。


プライマリ・ケアの5つ理念

 これはプライマリ・ケアの専門医について言っていますが、専門家でなくても、一定このようなことが理解でき、担える必要があります。

Ⅰ.Accessibility(近接性)
 プライマリ・ケアはかかりつけ医だから予約を取って2カ月待って受診するようなところは、プライマリ・ケアではありません。気楽に行けて、アクセスがいいことは当然です。

Ⅱ.Comprehensiveness(包括性)
 予防からリハビリまで幅広く、病気になる前から、障害を受けて地域の中で生活するところまで、いろんな病気のステージを一通り包括的に関われるのが、診療科的な包括性です。コモンディジーズ(Common disease)である限りは眼科の結膜炎のことでも、皮膚の蕁麻疹であっても、あるいは膀胱炎であっても、一通りのコモンの病気はちゃんと扱いますよ、と診療科にわたる包括性と、予防からリハビリまでの縦と横の包括性があるかどうかです。

Ⅲ.Coordination(協調性)
 院内スタッフの協調性、地域の福祉やリハビリ、予防機関や保健所などとの協調性がいかにとれるかです。医療福祉連携ができる能力です。

Ⅳ.Continuity(継続性)
 病院はF1レースのピットみたいなもので、瞬間に入ってまた走りだすという感じです。ピットインしなくてすむのが一番いいわけです。ピットはタイヤ交換を早く済ませて出すので、ずっとみているのではありません。ずっとみているところは無線でチェックしながら全体状況を把握するのが家庭医です。
 日本では病診連携という議論になりますが、病診連携という概念自体が病院中心です。イギリスなどはナショナル・ヘルス・サービスだから、GPのプライマリ・ケア対応は当たり前です。何かあったら専門医にコンタクトして、助言をもらい帰って診るので、病診連携という概念がありません。かかりつけ医が基地で、何かあったらコンサルトする。たまにチェックしてもらう感じで、そこが病診連携というのは病院中心の発想です。基本は地域やかかりつけ医です。

Ⅴ.Accountability(責任性)
 全部抱え込むのではなく、できなかったら責任をもって必要なところに送って、帰ってきたらこちらでまた責任をもって診る。説明責任を果たせるアプローチができるかです。


 プライマリ・ケア専門医になったら、地域の診療所で展開しますが、そうではなくてもこういった能力は必要です。

 基本的にグローバルスタンダードもアウトカム基盤型教育でできていますが、OECDもアウトカム基盤型教育です。平成20年、文科省は中教審の答申で、学士課程、大学の教育が「日本は何を教えるか」ばかりが議論になっている。教えればいいのではなくて世界的に何ができるようになるかのラーニングアウトカムが問題になっている。教えた成果で、学生がちゃんと出来るようにならないといけないけれど、日本は教員が教えたら終わりで、アウトカムについて誰も責任を取っていません。ラーニングアウトカムに責任を持つことを考えろと平成20(2008)年に文科省が言いました。

 わが国の大学が抱える教育研究の目的は、総じて抽象的で、結果的にどんな人になるかは何も分からない。もう少し具体的明確化したディプロマ・ポリシー(学位授与の方針)を明示して、それを卒業時点で到達しているかを確認する仕組みにしなさい、と10年前から文科省が言っています。

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高等教育におけるアウトカム基盤型教育へのシフト
・OECDは高等教育における学習成果(Leaning Outcomes)の調査(AHELO:Assessment of Higher Education Leaning Outcomes)を実施し、2013年3月にパリで開催された国際会議において、フィージビリティ・スタディ(FS)の結果が報告された。
・文部科学省も、中央教育審議会の平成20年12月24日の答申「学士課程教育の構築に向けて」で「他の先進国では『何を考えるか』より『何ができるようになるか』(学習成果:ラーニングアウトカム)を重視した取り組みが進展」しているが、一方「我が国の大学が掲げる教育研究の目的等は総じて抽象的」であり、「大学は、卒業に当たっての学位授与の方針を具体化・明確化し積極的に公開」し「国は学士力に関し参考指針を提示」すると明記されている。
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 医学部だけではなく、すべての大学でディプロマ・ポリシーが出された後、今後はそれを達成させるためのカリキュラム・ポリシーを各大学がつくって、ホームページにあげています。

 さらに、カリキュラム・ポリシーに見合う学生選抜のアドミッション・ポリシー(入学者選抜方針)を出しなさいと、3つのポリシーは、すべての大学のホームページをかかげられています。

 ところが文科省からアドミッション・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシーを出しなさいと言われた時期が五月雨式で、ポリシーを作った時の学部長や教務厚生委員長が別々で、3つのポリシーに一貫性がないのではということを去年、文科省からすべての大学に指摘がされました。一貫性のあるものへの改訂のため、この春まですべての大学で議論が行われ、今、各大学のホームページにあげられているのは、修正し直したものが載っているはずです。

 それに基づいて、2020年からセンター試験がなくなり、新しい選抜試験になります。選抜試験は各大学がつくったアドミッション・ポリシーにもとづき行われると思います。アウトカム基盤型教育になってきていますが、それは卒前教育だけではありません。

 医療系で一番有名なアウトカムはキャンメド(Can Med)です。カナダの医学教育は、すべての医師は7つのアウトカムをめざし、卒前・卒後・初期研修・後期研修も含めて、同じアウトカム目指してやっていくことを出しています。

①メディカルエキスパート
 専門能力は当然で、これが下手だったらどれだけいい人でも困ります。
②コミュニケーションがとれる
③コラボレーション
 地域と協調ができる
④リーダーシップ
⑤アドボケーション
 患者の利益を考えて代弁できる
⑥学識概念
 自分で研究しなくても、研究成果を診療に生かすよう論文を読んで、良い論文、悪い論文を見分けるようになる。世界的な医学知見の生産者である必要はないですが、賢い消費者になってもらわないと困ります。
⑦プロフェッショナリズム
 プロフェッショナルとして倫理性が守られる人がカナダのキャンメドの目指す医師です。こういった国として目指すべき医師像のアウトカムはイギリス、アメリカも出しているし、世界的にそれぞれの国が出しています。

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The CanMEDS 2015 Framework
・Medical Expert
・Communicator
・Collaborator
・Leader
・Health Advocate
・Scholar
・Professional
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 実は、日本も遅ればせながら2001年に最初のモデル・コア・カリキュラムが作られ、途中で一回改訂し、今年の春、大改訂がありました。

 今回は医学部も歯学部も、卒前も卒後も同じアウトカムでいくことが決まりました。モデル・コア・カリキュラムは基本的に文科省の議論ですが、厚労省と臨床研修制度の改編を去年と今年にかけて一緒の議論をしています。共同での9つのアウトカムは、卒前も卒後も同じものとなり、カナダのキャンメドに見合うものです。

 日本の場合は一番にプロフェッショナリズムです。医学知識と問題対応能力、診療技能と患者ケア、コミュニケーション、チーム医療、医療の質と安全管理、ソーシャルコンセンサスの中で医療ができるか。科学的探究、生涯にわたってともに学ぶ姿勢です。
卒後、これ(※2)に基づいて具体的な研修制度の見直しの到達目標をどうするか、現在、議論がありますが、基本はこれ(※1)です。プロフェッショナリズムのところが、倫理性以外はここ(※2)にあがり、さらに社会的使命と公衆衛生への寄与、利他的な態度、人間性、自らを高める姿勢を身に付けます。

 このプロフェッショナリズムの4つの柱(※2)が、21世紀のプロフェッショナリズムとして、メディカル・エクセレンスとヒューマニズムとソーシャル・アカウンタビリティと利他主義があるのですが、自ら高めるメディカル・エクセレンス、ヒューマニズム、ソーシャル・アカウンタビリティ、利他主義という、この4つは世界的な21世紀のプロフェッショナリズムの議論を受けた形で、とてもグローバルスタンダードを意識した形で今回、日本でもつくられました。

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※1改訂版医学/歯学モデルコアカリキュラム
医師/歯学医師として求められる基本的資質・能力
①プロフェクショナリズム    ⑥医療の質と安全管理
②医学知識と問題対応能力    ⑦社会における医療実践
③診療技能と患者ケア      ⑧科学的探究
④コミュニケーション能力    ⑨生涯にわたってともに学ぶ姿勢
⑤チーム医療の実践
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 卒前教育は今、分野別認証評価でグローバルスタンダード評価が動いていますが、卒後初期研修も見直しをしていて、来年の春に出る見直し案で、到達評価の部分が出てくると思います。

 WFMEのグローバルスタンダードは、卒前教育だけではなく、卒後研修、生涯研修とあり、卒後初期研修に基づく臨床評価も、今の初期研修認証機構も意識してすると思います。世界標準は避けて通れない状況になりつつあります。

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※2 医師臨床研修の到達目標
医師としての基本的価値観(プロフェッショナリズム)
①社会的使命と公衆衛生への寄与
②利他的な態度
③人間性の尊重
④自らを高める姿勢
資質・能力
①医学・医療における倫理性
②医学知識と問題対応能力
③診療技能と患者ケア
④コミュニケーション能力
⑤チーム医療の実践
⑥医療の質と安全の管理
⑦社会における医療の実践
⑧科学的探究
⑨生涯にわたってともに学ぶ姿勢
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 改めて初期研修の意義ですが、初期研修は「すべての医師が将来の進路に関わらず共通してとらえ、基本的診療技能や態度を身につける時期である」という国際標準があります。それだけではなく、この期間は生涯にわたり医師としての診療スタイルや生活スタイル、あるいはスタッフや患者、地域に対する関係のつくり方の基盤となるプロフェッショナルとしての医師像をつくる出発点です。患者、スタッフ、地域とのかかわり方は、医師人生を決める出発点として影響の大きい時期です。勉強ができればいいだけではなく、ここの部分まで考えて、臨床研修でどういうことをやるかを選ぶ必要があります。

 研修施設については、コモンディジーズ、コモンプロブレムへの対応能力ということがグローバルスタンダードで求められます。幅広い初期対応能力は、大学病院は無理です。大学病院は専門店街ですから、エルメスの店にユニクロのジャージの服を買いに行くようなもので、売っていない。コモンなものを扱わないのが特定機能病院の使命で、大学病院に幅広くは無理です。


 多科、マイナー科研修は、中小の施設は足りないので、しょうがない部分があります。
大学病院は、スペシャルディジーズをみる専門機関で、コモンディジーズは少なく、症例数に限りがある。うちの大学病院は研修医が少なく、たくさんの症例がありますが、大学病院に残る研修医が多いところは、患者数をその数で割ると、受け持ち患者数が減り症例数も少なくなります。

 地域医療、家庭医療は、地域に出ている病院と出ていないところがあります。出ていないところは地域医療、家庭医療は弱い。

 救急医療は、初期救急をみない大学病院は多くあり、ほとんどが二次救急か三次救急メインです。三次救急がメインの特殊救急部では、ほとんど死者の患者を蘇らせる術にはみんな燃えますが、普通の一次救急には必ずしも関心がありません。

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改めて初期研修の意義とは
・初期研修は単に、すべての医師が将来の進路に関わらず共通して備えるべき基本的診療技能・態度を身に付ける時期であるだけではない。 
・この期間は、生涯にわたっての医師としての診療スタイルや生活スタイル、スタッフや患者・家族、地域に対しての関係の作り方の基盤をつくる、専門職としての医師像を形成する出発点としての重要な時期である
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 大学病院ではチーム医療は難しいですが、地域医療をやっていないとお上が許してくれない時代で、昔と比べたら変わってきました。若手の先生はよく動いていますが、図体が大きいので垣根を越えるのが難しい。中小病院でもチーム医療がうまくいっていないところもありますが、比較的連携してやっています。
 大学病院は慢性疾患をみないで帰すスタンスですから、慢性疾患を学ぶことは難しい。

 最後に、地域医療の現場に行って初めて気が付くことがあります。イギリスの先生の調査(表)ですが、患者中心の医療とはどこの病院も言っています。だけど入院患者が患者中心かと言えば、あくまでも病院のお客さんです。自分の家にいるように好きなところへ寝転がったり、食事したり、タバコをふかすことはできません。自分がやりたいことに対して許可をとらないとできない状況です。

 逆に往診に行くと、私たちがお客さんです。「すみません、あがらせていただきます」「ここに座らせてもらってもいいかな」「手を洗いたいので水、貸してもらえますか」…という感じで主客が入れ替わります。


 そういう場を体験しないと分からない部分があります。だからこそ今、地域医療1か月、卒後研修の中に入っていますが、その1か月が本当に地域医療の中身を研修できる仕組みにしているプログラムもあれば、田舎の中核病院で病棟をみているだけで、地域医療1か月を終わらせているところもあります。
 本当は慢性疾患を長期にみて、よくなったり、悪くなったりを寄り添うスタンスがあるところがいいと思うが、ただ1か月と限られています。
 これで一応、私の話を終わらせていただきます。

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